明石家さんまの弟・杉本正樹さんとは?

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お笑い界のトップを走り続ける明石家さんまさんには、過去に悲しい出来事で亡くした最愛の弟がいました。ここでは、さんまさんの人生に大きな影響を与えた弟・杉本正樹さん(メディアによっては「正登」とも表記)について解説します。

目次

明石家さんまの弟・杉本正樹さんとは?

プロフィールと人物像

  • 名前: 杉本 正樹(すぎもと まさき)
  • さんまとの関係: さんまさんの父親が再婚した際の、継母の連れ子。さんまさんにとっては血の繋がらない義理の弟にあたります。
  • 人物像:
    • さんまさんは弟ができたことを非常に喜び、血の繋がりに関係なく「チビ」と呼んで大変可愛がっていました。
    • 弟の正樹さんもさんまさんを非常に尊敬しており、「兄の言うことはすべて正しい」と思っていたほど、兄弟仲は良好でした。
    • 運動神経が抜群で、特にサッカーの才能に秀でていました。高校時代はサッカー部のキャプテンを務め、インターハイに出場したほか、国体選手にも選ばれるほどの実力者でした。

明石家さんまとの幼少期のエピソード

さんまさんが小学生高学年の頃、父が再婚し、正樹さんが弟になりました。しかし、継母は実の子である正樹さんばかりを可愛がり、さんまさんにはなかなか心を開きませんでした。

ある夜、継母が隣の部屋で「うちの子はこの子(正樹さん)だけや…」と呟くのを、壁越しに聞いてしまったさんまさんと実兄。二人は二段ベッドで静かに涙を流したといいます。

このような複雑な家庭環境の中でも、さんまさんと正樹さんの兄弟仲は非常に良く、互いを大切に想い合っていました。

弟・正樹さんの死の真相【火事による焼身自殺】

関西で人気芸人として活躍の幅を広げていたさんまさんを、突然の悲劇が襲います。

いつ、何があったのか?事件の概要

1983年4月2日未明、奈良市にあったさんまさんの実家(1階が水産加工工場、2階が住居)から出火。建物約430平方メートルが全焼する火災が発生しました。

この火災により、当時19歳だった弟の正樹さんが焼死体で発見されました。就寝中だった他の家族は火事に気づき、無事に避難しています。

なぜ自殺を選んだのか?その理由と背景

当初、火災に気づいた正樹さんが消火を試みて逃げ遅れた事故死ではないかと考えられていました。しかし、その後の警察の捜査で、悲しい事実が明らかになります。

  • 工場が広く、煙が充満するまでには時間的猶予があったこと。
  • 就寝中の家族に火事を知らせた形跡がなかったこと。
  • 正樹さんの衣服が、上着だけでなく下着まで灯油で濡れていたこと。

これらの状況から、警察は正樹さんが自ら灯油をかぶり火をつけた焼身自殺であると断定しました。

自殺の明確な理由は遺書などがなく不明ですが、高校卒業後、実家の家業を手伝っていた正樹さんは、周囲の友人に「家業を継ぎたくない」と漏らしていたと報じられています。インターハイに出場するほど打ち込んだサッカーの道を諦め、家業を継ぐことに深く悩んだ末の決断だったのではないかと考えられています。

明石家さんまが語った事件当日の生々しい状況

最愛の弟の死、そしてその真相に、さんまさんは大きなショックを受けました。当時、さんまさんは弟の自殺説について、泣きながらこのように語っています。

「あいつは自殺するような人間やない・・・もし自殺するほど苦しんでいたら、ぼくにひとこと相談したはずや・・」「大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」

突然の別れと、何もしてやれなかった後悔が、さんまさんを深く苦しめました。

明石家さんまと弟の絆を示す感動エピソード

弟の死という計り知れない悲しみを、さんまさんはいかにして乗り越えようとしたのでしょうか。そこには、芸人仲間との絆がありました。

さんまがテレビ番組で涙ながらに語った弟への想い

さんまさんは公の場で弟のことを語ることは少ないですが、過去のインタビューでは愛情深く弟を語っていました。

「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。」

この言葉から、弟への深い愛情と信頼がうかがえます。

弟の死を笑いに変えたオール巨人の「最高の励まし」

弟の死後、さんまさんはショックから笑いが取れなくなり、真剣に芸能界引退を考えていました。そんな中、同期のオール巨人さんと舞台に立つ機会がありました。

舞台上で巨人さんは、あえて弟の死に触れ、こうツッコミを入れたのです。

「お前んち、兄弟焼いたらしいな」

一見、不謹慎極まりない言葉ですが、さんまさんはこれが巨人さんなりの最高の励ましだと瞬時に理解しました。そして、間髪入れずにこう切り返します。

「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや」

このやり取りで客席は大爆笑に包まれました。この一件で吹っ切れたさんまさんは、終演後、オール巨人さんにこう感謝を伝えたといいます。

「ありがとう。 これで芸人辞めんで済むわ」

この出来事が、さんまさんを引退の淵から救い出しました。

弟の死が明石家さんまに与えた絶大な影響

最愛の弟の死は、明石家さんまさんのその後の人生観と芸風に、決定的な影響を与えることになります。

「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘の誕生秘話

さんまさんの座右の銘としてあまりにも有名な「生きてるだけで丸儲け」。この言葉は、3歳で実母を、そして19歳で最愛の弟を亡くした経験、さらに自身が遭遇を免れた「日本航空123便墜落事故」という複数の死との直面から生まれました。この言葉は、後に生まれた長女・IMALUさんの名前の由来にもなっています。

人の死を笑いにしない芸風の原点

オール巨人さんの励ましで立ち直ったさんまさんは、「笑い」に対する独自の哲学を確立します。

「俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。」

テレビで決して涙を見せず、悲しい出来事さえも笑いに変えようとする姿勢は、弟の死という深い悲しみを乗り越えた経験から来ているのです。

弟の死を乗り越え「笑い」に昇華させる哲学

辛い経験をしたからこそ、誰よりも人の痛みがわかる。だからこそ、どんなに悲しんでいる人も笑顔にしたい。さんまさんの底抜けの明るさと、どんな時も笑いを追求するストイックな姿勢は、弟の死という壮絶な過去を背負い、「笑い」に魂を捧げることを決意した証なのかもしれません。

明石家さんまの家族構成

弟の存在を語る上で欠かせない、さんまさんの複雑な家庭環境と家族構成についても触れておきます。

弟だけではない、兄・杉本知さんの存在

さんまさんには、実の兄である杉本知さんがいます。前述の通り、継母からの辛い言葉を壁越しに聞き、二段ベッドで共に涙を流したエピソードは、このお兄さんとの出来事です。

複雑だった父・母との関係

  • 実母: さんまさんが3歳の時に病死。
  • 父親: 水産加工業「杉本音食品」を経営。さんまさんが小学生の時に再婚。
  • 継母: 弟・正樹さんの実母。さんまさんには心を開かず、弟ばかりを可愛がっていました。さんまさんがお笑いの道に進んだ原点には、「この継母を笑わせて振り向かせたい」という想いがあったと言われています。

まとめ

国民的お笑いスター・明石家さんまさんの底抜けの明るさの裏には、若くして亡くした最愛の弟・正樹さんの存在がありました。

  • さんまさんの弟・正樹さんは、継母の連れ子で、サッカーの才能に溢れた青年だった。
  • 1983年、実家の火災により19歳で死去。その死は、家業を継ぐことに悩んだ末の焼身自殺だった。
  • 弟の死に引退を考えるほど打ちのめされたさんまさんを救ったのは、オール巨人さんの芸人ならではの壮絶な励ましだった。
  • この悲劇的な経験は、「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘や、「泣いている人を笑わせたい」という現在の芸風を確立する大きなきっかけとなった。

弟の死という深い悲しみを背負い、それを「笑い」というエネルギーに変えて走り続けること。それが、明石家さんまという芸人が今もなおトップに立ち続ける理由の一つなのかもしれません。

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